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ご紹介, 著作(邦郎)

恩地邦郎 『芸術と教育』 1971年

恩地邦郎 (著・装幀・挿絵)『芸術と教育』 第一法規 1971年

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「これからの教育の中で、基本的な役割を果たすものは、芸術でなければならない。」

明快な一文で始まる、邦郎50代を迎えて初めて出版した著書、明星学園の同僚、のちの和光大学教授の武者小路穣氏に執筆を勧められたと「あとがき」にある。装幀の文字が明朝でないのは、孝四郎を意識してのことであろうか(孝四郎は明朝を好み「恩地明朝」などと言われるくらいであった)。

読み進めていくと、当時の学生との率直なやりとりに学園の様子が活き活きとよみがえる。邦郎が亡くなって落ち着いたころ、同僚ご夫妻(いずれも卒業生)が訪ねていらして、ご夫人が、印象派の画家について、「な、酸っぱいだろ?」と邦郎が言ったことが記憶に残っていると、授業の様子などを教えてくださった。長身で天然パーマであったところから、学生がつけたニックネームは、「きりんキャベツ」。

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幼稚園時代はミロがお気に入り、小学校(おそらく低学年)でイヴ・クラインのボディ・ペインティングに衝撃を受け・・・、といった元子の美術との出会いは、両親、特に父によってアウトラインが引かれていたわけだが、高校時代にモンドリアンに接したのは、この邦郎の著書によるものであったかと思う。マンテーニャのような、当時は美術史のメインストリームに挙がってこない画家を早くから知っていたのも、この本がきっかけであったかもしれない。

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旅のエッセイの挿絵以外は、自分の作品を紹介せず、孝四郎の作品にも言及していない。節度のあるところが邦郎らしい。
孝四郎を通じて知り合った文学関係の友人たちについても、子供の教育に関して触れたりしている程度である。

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妻の役割に時代を感じるところはあるが、話題に挙がっている音楽の、ジャンル越境的な固有名は、恩地家の食卓がモデルであろう。プロコフィエフと島倉(千代子)の取り合わせなど、状況によっては今でも顰蹙を買うのではないか。

 

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Andrea Mantegna : l’œuvre du maître : tableaux, gravures sur cuivre 1911

Andrea Mantegna : l’œuvre du maître : tableaux, gravures sur cuivre  Ouvrage Illustré de 200 Gravures (Les classiques de l’art)、Paris, Librairie Hachette & Cie,1911

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「アンドレア・マンテーニャ、 その人生と作品」という一章に続いてモノクロームの写真で作品紹介、専門的な解説、所蔵先つき作品リストがある、オーソドックスな構成の概説書。

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蔵書印あり。

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「死せるキリスト」のページに挟み込みあり。紙が新しいので、邦郎による可能性もある。

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Hammer ton, J. A.(ed.), Wonders of animal life by famous writers on national history, 1929

Hammerton, J. A. (ed.), Wonders of animal life by famous writers on national history, The Amalgamated Press, 1929

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著名な博物学者や著述家によって書かれた博物誌。表紙はカラー、多くのモノクロームの写真を含む。
日本の所蔵大学や海外の古書販売サイトによれば、複数合冊して百科事典のような仕立てになるようだ。全4巻。
分類を越えて、行動学的に様々な動物を採り上げており、読み物としての面白さがある。

 

 

ご紹介, 所蔵(展子), 所蔵(邦郎)

のぶの通帳

のぶの通帳

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孝四郎妻、のぶが使っていた通帳。

晩年、思うように外出できなくなってからは、のぶの代わりに展子が通帳と印鑑を預かり、銀行に赴いていた。

のぶは、山梨県石和町の出身、山梨県人と○○県人(真偽のほどは定かでないので固有名詞は伏せる)の歩いたあとは草も生えないといわれる県民性を体現しているような人物で、その山梨県人気質を彷彿とさせる爆笑エピソードが、家にも実家の親戚の昔語りにも溢れていた。

そのひとつが通帳にまつわるもので、実家の親戚が家に泊まりに来た時に、夜こっそりとやってきて、通帳を見せながら「ほら、こんなにある」と言ったというものである。生家は金融業であったため、県民性がさらに色濃く表れたのだろうか。実家が裕福であるという絶対の自信ゆえか、はたまた生来のものなのか、その傍若無人の振る舞いは独特であり、財界に力のあった親戚を自分のほうが年長であるため○○○坊主などと呼ばわり、近隣の、フィクサーと呼ばれた財界人のことを「あれは戦後、鉄くずを売って儲けたのよ」と嘯くなど、数々の決め台詞や名語録があった。孫にとっては、かなり難しいおばあちゃまであったが、どこか憎めないところもあった。

一方、孝四郎との文化的な環境の違いは推して知るべし、山梨県立甲府高等女学校在学中、孝四郎が学校に来て、体育館でピアノを弾いているのを、「女の子みたあじゃね」と、級友とともに遠くからこっそり見ていたという(展子伝)。それゆえ、家には、悲喜こもごもといったレベルには収まらない数々の事件が起こった。いやむしろ、この異文化接触が、めぐりめぐって孝四郎の創作に繋がったといえるかもしれない。

 

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フランスに出発する駒井哲郎を見送る孝四郎の傍らで、孝四郎に視線を添わせることなく、カメラに向かって、しっかりお得意のポーズをとる、のぶ。

 

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展子のピアノ室の前で、元子と。撮影者は邦郎、部屋にひっそりといるのが展子。

 

 

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

興田準一『猿と蟹の工場』1935年

興田準一 『猿と蟹の工場』 版画荘、1935年。

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児童文学者、詩人、興田準一(1905‐1997)の最初の童話。日本女子大学講師として児童文学を講じた。

川上澄生による装幀。

蔵書印あり。

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

マルセル・シュオブ『古希臘風俗鑑』1929年

マルセル・シュオブ 『古希臘風俗鑑』(矢野目源一訳)第一書房 1929年。

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フランスの作家、詩人、マルセル・シュオブ(1867~1905)は、最近全集が出版されて、その先駆性が評価されるようになった(『マルセル・シュオッブ全集』https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336059093/)。

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蔵書印あり。

ご紹介, 蔵書(孝四郎)

筏井嘉一ほか 『新風十人』 1940年

筏井嘉一・加藤将之・五島美代子・齋藤史・佐藤佐太郎・館山一子・常見千香夫・坪野哲久・福田榮一・前川佐美雄 『新風十人』 八雲書林、1940年。

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文芸復興の機運のなか、10名の若手歌人が参加した異色の合同歌集。

棟方志功による装幀。

蔵書印あり。

 

ご紹介, 装幀の仕事(孝四郎)

野間宏(ほか)『文学的映画論』 1957年

野間宏(ほか)『文学的映画論』 中央公論社、1957年。

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野間宏(1915‐1991)は、戦後、小説、評論、詩の分野で活躍。
孝四郎没後の出版。孝四郎担当は表紙で、この時期に出版された新書サイズの書籍に同じデザインが使われている。カバーは書籍により違う人が担当していたようだ。この本のカバーは洋画家、芝清福による。

色違いで同じデザインの伊藤整著『女性に関する十二章』(1954)が、恩地邦郎・編『新装普及版 恩地孝四郎 装本の業』(三省堂サイト;https://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gen/gen4lit_etc/onchi_sohonwaza/)に掲載されている(邦郎によるコメント「グレー白抜き模様に文字は黒。159頁)。

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野間宏「大衆映画論」のほか、佐々木基一「芸術としての映画」、花田清輝「映画監督論」、安部公房「映画俳優」、埴谷雄高「古い映画手帖」、椎名麟三「シナリオと映画精神」が収められている。

ご紹介, 装幀の仕事(孝四郎)

北原白秋・三木露風・川路柳虹編『現代日本詩選』 1925年

北原白秋・三木露風・川路柳虹編『現代日本詩選』  アルス 1925年.

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「臙脂色の荒目の紬に、背は空押しをした上に茶色の革を貼り、書名金箔押し。」
(恩地邦郎・編『新装普及版 恩地孝四郎 装本の業』(三省堂サイト;https://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gen/gen4lit_etc/onchi_sohonwaza/)掲載、邦郎によるコメント、113頁)。

数多くはないが、自分の作品に蔵書印を押している場合もある。
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ご紹介, 蔵書(孝四郎)

Film – Photos wie noch nie, 1929

Film – Photos wie noch nie mit Originalartikeln unter anderen von : Asta Nielsen, Lilian Gis©h, Greta Garbo, Charlie Chaplin, Emil Jannings, W.Pudowkin, Buster Keaton, Conrad Weidt, Douglas Fairbanks.  Kindt & Bucher Verlag. Giessen, 1929

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1929年出版、初期映画についての写真集、255頁。写真1200点以上を掲載、解説文章あり。グレタ・ガルボ、バスター・キートン、チャーリー・チャップリン、コンラート・ファイトなど。180名弱(目次記載数)の俳優が出演した様々なシーンを観ることができる。

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紙カヴァーは孝四郎による。

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「カリガリ博士」(1919)と「裁かるゝジャンヌ」(1927)のページに、孝四郎による貼り込みあり。

監督のドライヤーの名前は本書冒頭の索引にあるが、映画名「裁かるゝジャンヌ」は映画タイトル索引にない。いずれかからの情報により、この映画に心を留めたのか、あるいは孝四郎独自の感性で、このシーンに注目したのかもしれない。

ドイツ語圏か、フランス語圏かに捉われない孝四郎の関心が伺える。


元子は20代の始めころ、この映画を東京国立近代美術館フィルムセンター(現「国立映画アーカイブ」)で観ているが、この書籍は未見。