ご紹介, 所蔵(轍)
楊州周延 《女禮式略圖》 《女禮式之圖》 明治期
2018/07/08
楊州周延 《女禮式略圖》(印刷並ニ発行人武川卯之助) 明治期
楊州周延 《女禮式之圖》(印刷兼発行者武川卯之吉) 明治期
明治の浮世絵師、楊州周延(1838-1912)の美人風俗画。
三枚続をさらに貼りあわせてある。
邦郎による簡略リストあり。
ご紹介, 所蔵(轍)
2018/07/08
楊州周延 《女禮式略圖》(印刷並ニ発行人武川卯之助) 明治期
楊州周延 《女禮式之圖》(印刷兼発行者武川卯之吉) 明治期
明治の浮世絵師、楊州周延(1838-1912)の美人風俗画。
三枚続をさらに貼りあわせてある。
邦郎による簡略リストあり。
ご紹介, 装幀の仕事(孝四郎)
2018/06/07
廣津和郎 『狂った季節』 六興出版社、1950年
「表紙はケント紙に紙皺模様を灰靑と灰橙2色で重ね刷り」、函は「白洋紙に木版技法で灰紅色の木の葉を移した」(いずれも『恩地孝四郎 装本の業』掲載、邦郎によるコメント、150頁)。函の中央は、その形状から朴ノ木の葉と思われる。
孝四郎は、獨逸学協会学校中学(旧制獨協中学校)を1909年(明治42年)に卒業(『獨協学園史 資料集成』(獨協学園、2000年))。学園に保存されている在学中のドイツ語の成績に落第点はない。フランス語は独学。
欧文蔵書のうち、ドイツ語、フランス語によるものは数多く、この二つの国に深い関心を寄せていたためか、孝四郎はドイツ、フランス、日本の木として、菩提樹、マロニエ、朴ノ木を庭に植樹した。
木の葉が葉脈のみとなったもの(この作品に使われたというわけではない)。
邦郎が資料として保存していた。
ご紹介, 蔵書(孝四郎)
2018/06/07
Kunst und Künstler : illustrierte Monatsschrift für bildende Kunst und Kunstgewerbe、Jahrgang XIX, Heft VIII、Verlag Bruno Cassirer,Berlin, 1921
ドイツ人の出版人ブルーノ・カッシーラー(1872-1941)が、ベルリンで発刊した挿絵入り美術月刊誌。ダンテ「神曲」の、ボッティチェリによる挿絵についての論考が掲載されており、表紙に孝四郎の字で、Botticelli Göttliche Komödie とある。
「K.Onchi Dec.1921」の書き込み。白木屋のタグあり。
挟み込まれている紙片には、父、轍の肖像。
ご紹介, 所蔵(邦郎)
2018/06/07
日本芸術院会員、帝室技芸員、一水会委員、日本美術家連盟会長の要職にあり、東京美術学校、学制改革後、東京芸術大学美術部教授も務めた洋画家、安井曾太郎(1888-1955)による。
封筒に納めて、さらに和紙で包むという丁重なもの。
孝四郎没半年後に自身も逝去。
ご紹介, 蔵書(邦郎)
2018/06/07
アンリ・フォシーヨン『形の生命』(杉本秀太郎訳) 岩波書店、1969年
幾つかのページに傍線あり。早書きデッサンが得意だった邦郎らしい関心の表れも。
ご紹介, 蔵書(孝四郎)
2018/05/03
L’Amour de l‘Art, No.7, (juillet,1924) , Librairie de France
美術総合月刊誌。
三越の包装紙によるカヴァーは孝四郎自身による。
紙片、貼りこみは、孝四郎自身による。
挟み込まれているスペイン語の新聞“La Prensa”(12.12.1926)がどこから切りぬかれたかは不明。
ご紹介, 装幀の仕事(孝四郎)
2018/05/03
現代大衆文学全集『江戸川乱歩 孤島の鬼・一寸法師・陰獣・其他』昭和25年、春陽堂
木版原刻の連続模様による函については『恩地孝四郎 装本の業』(恩地邦郎編、三省堂、1982年)に解説のみあり。
ご紹介, 装幀の仕事(邦郎)
2018/05/03
江戸川乱歩 『彼・幻影の白』 東都書房、昭和38年
函は、本と共通の木版と点描の組み合わせ。
邦郎の妻、展子によれば、孝四郎は、編集者が邦郎と打合せのために訪問すると、玄関の冷たい床にぺったりと座りこんで、付き添っていたという。
「邦先生は字がなあ・・・」と呟いていた由。
邦郎が、書体に苦手意識をもっていたかどうかは分からないが、装幀作品は多くないかわりに、勤め先の学校などのためにカットをよく手がけていた。
ご紹介, 所蔵(邦郎)
2018/05/03
邦郎使用。孝四郎より受け継いだものと思われる。
ご紹介, 所蔵(邦郎)
2018/05/03
日本色彩研究所編著『新色名帖』 日本色彩社、1956年
邦郎が装幀の仕事のために使用していた色名帖。
元子幼時の遊び道具。
さすがに烏口は尖端が危険と思われたか、触る機会は得られなかったが、これは何故かいつも手の届くところにあった。
ぱらぱらとページを繰ると思いがけない色の組み合わせが現れ、“美しい”組み合わせではないものも、それはそれで面白いと感じられた。
思えばこれが、邦郎から娘、元子への、最初で最後の色彩教育であった。
この色名帖から、邦郎が小さな四角を切り抜き、何か描かれた紙の脇に並べて貼りつける作業を見るのは楽しく、しかるのちに訪れる客人(編集者)にその紙が渡されると、時をおいて書籍が帰ってくる。これには驚かされた。
だからといって、これらのことをもとに将来はブックデザイナーになりたいなどと元子はついぞ考えたことがなかった。