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ご紹介, 所蔵(邦郎)

田河水泡『のらくろ』      

漫画家 田河水泡の代表作『のらくろ』のシリーズ。

『のらくろ二等兵』の表紙に、直筆サインあり。

田河水泡(1899‐1989)は、恩地孝四郎の隣人であった時期がある。1933年に越してきて以来、1960年代の、正確な期日は不明であるが、半ばまでは居住していらしたようで、 元子には朧気ながら、やさしい笑顔の記憶がある。後に知ったことであるが、村山知義らを中心とする前衛美術運動MAVOに参加したり、新作落語の台本を書いたり、多才な面もあったという(参考:田河水泡 :: 東文研アーカイブデータベース (tobunken.go.jp)田河水泡/町田市ホームページ (city.machida.tokyo.jp))。

一世を風靡した『のらくろ』で、元子は階級組織というものを学んだのみならず、家族を登場人物に見立てるなどして楽しんでいた。家のなかで最も偉そうであり、年とともに太って頬の筋肉が緩んだ祖母のぶは、もちろんブル連隊長である。星三つの階級章を紙で作り、のぶの首にかけたりしたのだが、さほど不機嫌そうではなかった。

時節柄、都知事選の時のことが思い出される。のぶが、政治家の政策などには疎いにもかかわらず盛んに「みのべさん」のことを話題にするのを訝った母、展子が食事時に尋ねたところ、ファンなのだという。山梨県石和市の出身、父、小林重貞は金融業、と言えば聞こえはよいが家では「高利貸し」と伝えられており、のぶは筋金入りの甲州人であったので、「みのべさん」とは何かそぐわない感があったものだが、何のことはない、政治家らしからぬジェントルな雰囲気に惹かれていたものだと思われる。理由はともあれ、元子の記憶に、東京都知事といえば美濃部亮吉と刻み込まれたのは、のぶのおかげなのだ。

 

 

「平和を祈ろう」『のらくろ二等兵』(普通社、1962年)より