ご紹介, 著作(邦郎)
恩地邦郎 『芸術と教育』 1971年
2020/12/07
恩地邦郎 (著・装幀・挿絵)『芸術と教育』 第一法規 1971年
「これからの教育の中で、基本的な役割を果たすものは、芸術でなければならない。」
明快な一文で始まる、邦郎50代を迎えて初めて出版した著書、明星学園の同僚、のちの和光大学教授の武者小路穣氏に執筆を勧められたと「あとがき」にある。装幀の文字が明朝でないのは、孝四郎を意識してのことであろうか(孝四郎は明朝を好み「恩地明朝」などと言われるくらいであった)。
読み進めていくと、当時の学生との率直なやりとりに学園の様子が活き活きとよみがえる。邦郎が亡くなって落ち着いたころ、同僚ご夫妻(いずれも卒業生)が訪ねていらして、ご夫人が、印象派の画家について、「な、酸っぱいだろ?」と邦郎が言ったことが記憶に残っていると、授業の様子などを教えてくださった。長身で天然パーマであったところから、学生がつけたニックネームは、「きりんキャベツ」。
幼稚園時代はミロがお気に入り、小学校(おそらく低学年)でイヴ・クラインのボディ・ペインティングに衝撃を受け・・・、といった元子の美術との出会いは、両親、特に父によってアウトラインが引かれていたわけだが、高校時代にモンドリアンに接したのは、この邦郎の著書によるものであったかと思う。マンテーニャのような、当時は美術史のメインストリームに挙がってこない画家を早くから知っていたのも、この本がきっかけであったかもしれない。
旅のエッセイの挿絵以外は、自分の作品を紹介せず、孝四郎の作品にも言及していない。節度のあるところが邦郎らしい。
孝四郎を通じて知り合った文学関係の友人たちについても、子供の教育に関して触れたりしている程度である。
妻の役割に時代を感じるところはあるが、話題に挙がっている音楽の、ジャンル越境的な固有名は、恩地家の食卓がモデルであろう。プロコフィエフと島倉(千代子)の取り合わせなど、状況によっては今でも顰蹙を買うのではないか。